大泉民話巡り -その12-

今年が暖冬であることはいまさら言うまでもないのですが、本来寒冷地であるはずの大泉高原が中途半端に暖かいと困ることがいくつか出てきます。
火力の強い薪ストーブを本気で燃やすと熱くなりすぎるので、チビチビ燃やしているとススがいっぱいできてしまうとか、土の部分の霜柱が解けたり固まったりを繰り返すのでいつまでも土がぬかっていたりします。
 

本来、陽のあたらない家の北側などでは霜柱か固まって15cmくらい土が盛り上がったままガチガチに凍って春まで解けないのですが、今年は盛り上がって固まるそばから気温が上がるので、硬くならない部分を歩くと落とし穴か罠のように地面がボコボコに凹みます。どこで足を捕られるかわからないのでかなり危険な状態になっています。
例年ですと3月中旬ぐらいにそうなり始めて、わりに短期間で落ち着いてしまうのですが、今年はかなり長引きそうな感じです。

さて、今日は民話シリーズの最終回です。

鬼坂
大泉村西井出の下井出に鬼坂というところがあった。
昔々、この坂は急で鬼が疲れて休んだという話がある。この時腰掛けた石が今でも残っている。この石を「鬼の腰かけ石」とも「鬼石」とも言う。この石は、昭和23年の道路工事で元の場所から観音寺の前庭に移されている。
西井出の三大坂といってこの外に急な坂が東原坂、バンネイ坂があるが、今では道路改良工事によりゆるやかな坂になっている。

と言うことで観音寺を訪ねてみたのですが、音寺の前提には「鬼の腰かけ石」なるものが見当たらず、代わりに次のような内容の縦看板がありました。

 鬼石と鬼坂(別名源右衛門坂)の伝説
昔西井出の山奥の鬼久保と言う所に鬼が住んでいた。ある夜人里に出て来てこの坂ですべり転んで傍らの石に手をついた所、その石の真中に鬼の手のあとが残ったのでこの石を鬼の手形石(鬼石)と言いました。
そして坂の名も源右衛門坂から鬼坂と呼ばれるようになったということです。

確かに見ようによっては大きな手形のような窪みのある石が看板の傍らにおいてあります。「鬼の腰かけ石」はどこへ行ってしまったのかこれもまたミステリーです。
さて、12回にわたってご紹介した大泉村の民話ですが、茶色の文字で記した内容は全て大泉村教育委員会が作成した「おおいずみむら文化財地図」に記載された文章をそのまま転載させて頂きました。この場を借りてお礼とご報告をさせて頂きます。
ここでご紹介したような民話を思い浮かべながら、大泉で観光をされるとまた少し違った発見ができるかもしれません。

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