-日本人は「月本人」?-
満月の夜というのは月が明るすぎて、暗い星がまるで見えなくなる
こともあるのですが、都会ではなかなか味わえない「月光」だけを頼りに
夜道を歩くという非日常を体験することができます。
「科学(サイエンス)」というほど偉そうなものではないのですが
「月光浴散歩」に出かける前に知っておくと、より楽しくなる
蘊蓄(うんちく)話や、「月光浴散歩」をするときに知っておくと
よい情報を紹介して行きたいと思います。
それでは本編の始まりです・・・・
満月というと皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか?
満月の光を浴びると、何だか叫びたくなるとか、ちょっと気が狂い
そうで恐いなどというかたが結構多いのです。
でもこれって、ほとんど西洋人の発想で、洋画の見過ぎといって良い
です。
もともと西洋では、月の光はあまり身体や精神には良くないものという
考え方が強く見られます。
英語で”Lunatic”(ルナティック) は直訳すれば「月のような」ですが、
意味は狂人とか、狂気じみたという意味ですし、”Moonstruck”(ムーンス
トラック)は直訳では「月当たり」ですが、気のふれたという意味に
なります。
そのほか、満月といえば狼男ですし、吸血鬼が出てくるシーンには
なぜか満月に群雲(むらくも)が定番になっていますよね。
ところが、日本では明治時代になるまで、昔から「太陰暦」(月の満ち
欠けをベースにした暦)を使っていた関係上、月の満ち欠けそのものを
ベースにした生活をしてきました。
ですから、むしろ月を愛でる風習が優勢で、「お月見」とか「月待ち」という
文化が(だいぶ廃れてはいますが)現代にも伝えられている訳です。
お月見文化として「十五夜」・「十三夜」は有名ですが、「二十二夜」、
「二十六夜」などがあったと伝えられています。
さらに、日本人がどれほど月が昇るのを心待ちにしていたか(月待ち
文化)がわかる手がかりとして、月齢に応じた月の呼び方の多さが
上げられると思います。
満月(十五夜)の翌日は十六夜(いざよいと読みます):満月は日没と
ほぼ同時に昇りますがその翌日は「いざ宵」(さあ夜が始まるぞ)という
頃に月が昇るのでこう呼ばれます。
十七夜は「立待月」(たちまちづき):日は暮れたけど立って待っている
うちに昇ってくるので・・
十八夜は「居待月」(いまちづき):立って待っていても昇らないので、
座ってそのへんに居ると昇ってくるので・・・
十九夜は「寝待月」(ねまちづき):居ても立っても出てこないので、
寝て待つと・・・
二十夜は「更待月」(ふけまちづき):夜更け(22時)を過ぎないと昇らないので、
二十三夜は「有明月」(ありあけづき):下弦の月で、夜が明けても見えるので、
といった具合です。
こんな風に月齢に応じて月の呼び方を持たり、お月見をする風習を
持つ民族は日本人だけなのではないでしょうか?
ここまで月が好きだと「日本人」というより「月本人」といったほうが
よいのではなんておっしゃる方もいるくらいです。
現代の日本人はかつて月が好きだったことをすっかり忘れたようにも
思えるのですが・・・
なぜか正義の味方といえば、「月光仮面」だったり「セーラームーン」
だったりして、(別にそれを不思議に思わないところも)実はやっぱり
遺伝子の中には月が好きという情報が残されていたんだ!などと変に
納得したりします。
さあ、いかがでしょう・・?
皆さんの遺伝子は「月光浴」がしたいとムズムズし始めていないでしょうか?