月光浴の科学(サイエンス)  -その7-

-中秋の名月を科学する-

さて本節では、「なぜお月見と言えば中秋の名月なのか?」という
ところを「月光科学」的に考察したいと思います。

そもそも中秋とは・・・

昔、明治時代以前、太陰暦を通常の暦として使用していた頃、
季節の割り振りは現在と少し違っていて・・・

1月、2月、3月 が 「春」 (今でも正月を新春と言いますよね)
4月、5月、6月 が 「夏」
7月、8月、9月 が 「秋」
10月、11月、12月 が 「冬」

ということになっていました。

現代の感覚ではかなりずれたように思われるかも知れません。

また、太陰暦の1月というのは現在の2月頃に相当し約1ヶ月
ずれていたということをご存じの方も多いと思います。

そういった知識をもとにいろいろ考えると、それぞれの季節の
真ん中の月、2月、5月、8月、11月はそれぞれ春分、夏至、
秋分、冬至がある月にあたることになります。

つまり春分の前後1ヶ月が春、夏至の前後1ヶ月が夏・・・
というように太陽暦を使用している現代の季節分け以上に、
太陽暦を考慮して理にかなった季節分けになっていると考える
ことができます。

それで、8月というのは秋の中の中央の月なので「中秋」(ちゅうしゅう)
と言い、太陰暦では自動的に15日が満月になりますので、旧暦8月
15日に中秋の名月というお月見の行事が設定されたということに
なります。

現代では9月15日前後の満月が、この「中秋の名月」の日になり
ますが、相手は月なので一筋縄では行きません。

月の朔望(さくぼう=満ち欠け)周期は約29.5日です。

これを1ヶ月とすると12ヶ月は

29.5日 × 12 = 354日

となり今の1年365日より11日も少なくなります。

これですと3年経つと1ヶ月ずれ、18年経つと夏と冬が逆転して
しまうことになり、暦としての機能を果たさなくなってしまいます。

そんなわけで、ほぼ3年に1度「閏月」(うるうづき)というのを入れて、
13ヶ月ある年を作っていました。

(閏三月などという表現で3月が2回ある年が3年に1度あった
ようです。)

厳密には春分に一番近い満月が2月15日になるように調節して
いたはずですので、閏月が3月に入ることにより、旧暦8月15日
というのは、秋分をはさんで前後15日くらいの幅で秋分からずれる
ことになります。

太陽暦が使われる現代では9月の23日か24日には秋分の日に
なります。(23or24日は閏年の関係で変わりますが、太陽が基準の
暦なので大きくはずれません。)

つまり現在でも、この秋分の日をはさんで前後15日の範囲で
満月になる日が旧暦8月15日=「中秋の満月」 になるというわけです。

さて、それではなぜ「中秋の満月」が、
「月々に 月見る月は多けれど 月見る月は この月の月」 とまで
謳われるようになったのか? さらに考えたいと思います。

結論を先に言いますと、月の高さ(南中高度)と、季節的な問題の
二つがその要因になると思います。

夏至の頃の満月は(南中高度が)低く、冬至の頃は高いということを
これまで「月光科学」シリーズで解説してきました。

それでは春分、秋分の頃の満月の高さはというと、春分・秋分の頃の
太陽の南中高度とほぼ同じになります。

具体的には・・

90°- 観測地の緯度 = 春分・秋分の頃の月の南中高度

となりますので、90°-35°= 55°というのが関東地方周辺の
南中高度ということになります。

091003koudo

2009年10月3日(中秋の名月の日)の南中高度をステラナビゲーター
でシミュレートして見ました。
月軌道の傾きの影響か、天の赤道(赤い線)よりも高い58°くらいの
高度になっています。それでも赤道と黄道(黄色い線)が交わる
秋分点にとても近いところにいることがわかります。

冬の月のように首が痛くなるほど上を見上げなくてもすむ高さで、
夏のように低くないので、空気の減光の影響も受けにくいです。

夏より空気も澄んでクリアな月が見やすい季節になりますし、
冬のように窓を開け放つと寒いというほどの季節でもありません。

ちなみに春分前後の中春の満月は、まだ少し寒いですし、
「おぼろ月夜」という歌があるくらいで、気象的にクリアに見えるのを
期待することが難しい時期です。

というわけで「この月の月」こそお月見にふさわしい月ということに
なったのだろうと推測できます。

たかが「お月見」ですが、いろいろな思惑や、試行錯誤の末に
熟成されてきた風習なのだろうなぁ~ と思えてきて面白いです・・・

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