大泉民話巡り -その5-

三が日はわりと穏やかな天候でしたが、この週末にかけてまたもや荒れ模様・・困ったものです。
今年のお正月もたくさんの皆さんから年賀状を頂きました。こちらからお出ししているクリスマスカードのお礼にとくださるかたも多いのでしょうが、律儀に年賀状でお返しをいただくと(ほとんど事務的に出しているこちらとしては)全く頭の下がる思いです。改めてこの場を借りてお礼させて頂きます。

皆さんからの一言で多いのが「ホームページの更新を楽しみにしています」というものです。皆さんのご期待に沿えるよう、できる限り更新をするようにしたいと思います。

さて、今日も大泉の民話シリーズ、富士山との喧嘩に負けた八ヶ岳の後日談です。
 美し森の由来
大昔、八ヶ岳と富士山が背丈の競争をして、八ヶ岳の頭が折れて泣いていた時、鞍馬山から大天狗が来てそのわけをたずね、八ヶ岳に深く同情して子天狗に申し付けて赤岳山頂に社を立て、折れた頭を南東の山腹に置き、心やさしい姫に斎祭らせた。また瑞穂の国(日本)の神々が年に一度ここに集まってまつりごの相談する斎の庭として使われたことからこの場所を「斎(いつき)し森」と言った。のちにこのことばがなまって、「美し森」とよばれるようになった。

と言うわけで、富士山に痛めつけられた代償と言うわけではないのでしょうが、神々の集う場所として崇められることになったわけです。
「美し森」の駐車場から展望台まではかなりの高低差があり、登るのには苦労しますが、展望台からの眺めは素晴らしく、天気さえ良ければ苦労は充分に報われると思います。神々が集う場所として言い伝えられるだけのことはある眺めだと思います。
さて、今日はもう一つ、「美し森」と縁の深い「天女山」の伝説もご紹介します。
天女山と斎の庭
 昔々、諸国の神々が瑞穂(みずほ)の国(日本列島)の中程にあたる斎の杜(いつきのもり:今はことばがなまって「美し森」と呼ばれている)を盤座(ばんざ)の山と定めて、八百万の神々が天下り、年に一度集まり、その歳の国を治める掟を話し合うならわしがあった。この社が斎庭として使われていた。 

これが終わると天女山に住む仕女を招いて、舞を奉仕させた。仕女は斎の杜にはべる時は天の川原(天女山北方五百米くらいの所)で身を浄め、舞衣は羽衣池(美し森北西千米くらいの所)で洗い浄めて用いた。天女はこの地に好んで住むようになり、この山を天女山と名付けられたといわれている。

現在、天女山と美し森の間にはハイキングコースがあります。昨年の秋に歩いてみたのですが、森あり、沢あり、展望台あり、牧場ありでとても変化に富んだ楽しい大泉でも一押しのコースです。今度は新緑の季節に歩きたいと思っています。

スタパオーナー について

たくさんのかたに星空の美しさ、楽しさを知って頂きたくて、天体観測のできるペンションを開業しました。
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