今日は朝から雨模様
昼前から夜までよく降り続きました。
さてすでにご存じの方も多いと思いますが、今年7月31日に火星が15年ぶりに大接近になります。
上の写真は2003年の大接近のときにスタパで撮影した写真です。
「火星大接近」といいますが別に火星が地球に近づくのではなく、公転周期(太陽を一回りする周期)が地球は365日、火星は660日なので約2年2ヶ月に一度地球が火星を追い越すわけで、この追い越すときに最接近となりるわけです。
ただし火星は地球よりかなりいびつな楕円軌道で太陽の周りを回っているので、太陽から一番離れたあたりで地球が追い越すときを「小接近」、一番近いときに追い越すときを「大接近」といっています。
大接近の次の会合周期では少しだけ離れたところで接近になり、その次ではさらに離れたところで接近となり、やがて小接近になって、また約15年後には大接近となるという繰り返しになります。
今回の大接近に関する詳しい情報はアストロアーツ社のこちらのページをご覧頂くだくとして、このシリーズでは少し私的なお話しをさせて頂きます。
なんといっても私が星の世界に身を持ち崩す(?)ことになったきっかけが「火星大接近」だからなのです。
私が星に本気で興味を持ち始めたのは中学1年の頃でしたが、本格的に星を観測することになったのは1971年の火星大接近からといえます。
当時所有していた口径わずか5cmの屈折望遠鏡で、天気がよければ毎日のようにスケッチをとっていたのです。(上の写真の鏡筒がその望遠鏡です。私にとって初号機なので未だに手放せません。)
火星は大接近のときでも木星の半分強の大きさにしかならないので、よほど慣れないと100倍くらいの倍率ではあまりよく見えないのですが、そこは若さと根性で上のようなスケッチをとっていたのです。(100倍くらいの倍率だと肉眼で月を見るのと大して違わない大きさで、肉眼で月のスケッチをしようと思うとかなり苦労すると思います。)
でもある晩(天候の都合で)数日ぶりに火星を見ると、見えるはずの表面模様が全くと言ってよいくらいほとんど見えません。
大接近の少し後くらいの時期になると火星面上で「大黄雲」という大規模な砂嵐が起こり火星面が見えなくなるということは知っていたのですが、6千万キロも離れた別の惑星で発生した砂嵐をまさにリアルタイムで目撃したという経験が私の人生に大きなインパクトを与えたのでした。
以来、火星が接近するごとに、もっと良く(細かく)見たいという欲求に駆られ望遠鏡がドンドン大きくなって行きました。
スタパを開業することになったのも、ある一面ではもっと大きな望遠鏡で火星を見たいという気持ちもあったのです。
スタパの開業は2002年の10月ですが、その翌年2003年の夏は前回の火星大接近でした。
そんなわけで個人的な思い入れがたくさんの火星大接近ですので、しばらく(何回か)火星のお話しにお付き合い下さい。
こんにちわ。
1971年の火星大接近、懐かしいですね。
当時、私は高校2年生で、自作天体望遠鏡で晴れれば天体観測をしてました。
使用機材は、中学生の時自作した、D40㎜FL800㎜(コルキットのレンズ)の鏡筒と高校生の時自作したD50㎜FL900㎜(同じくコルキットのレンズ)の鏡筒でした。
架台も自作の木製フォーク式架台で、微動装置は無いものです。
これで、100倍以上の高倍率(MH8㎜、MH6㎜使用)で火星を観測し、スケッチしたものです。
追尾するのに苦労しながら、大シルチス等主な模様がかすかに見えた事が、昨日のように思い出せます。
今では、8㎝,10㎝の屈折を所有してますが、小口径屈折(4㎝,5㎝)で見る天体観測が一番楽しい思いがしてます。
星見自由人さま
1971の大接近は本当に懐かしいです。
本文にも書きましたが、私が天文に大きくのめり込むきっかけでもありましたし、何よりあの年はシーイングがとても良く、若くて眼も良かったので、5cmでもとても良く見えたと思います。
大黃雲が発生して模様がまるで見えなくなったときはとても残念でしたが、それも良い思い出です。
実家は東京のド真ん中だったのですが、観測中にホタルが目の前をフワフワ飛び(人生初ホタルでしたが)、見てはいけないものを見てしまったかと全身鳥肌が立ったことを今でもハッキリ覚えています。
人生の中で一番印象深い夏でした。